ごきげんよう。本田陽彦です。

 

 遠い昔のことが思い出されるときってありますよね。昼寝から目覚めたとき、私はそんな体験をしました。

 

 ある人の、過去のたましいを感じたとでもいえばよいのでしょうか。

 

 人間ってね、こころのずーっと奥のほう、もっともっと、ずーっと奥のほうに隠れてる何かがあるような気がするんです。

 ほんとに小さくって、とっても繊細で、触ることもできないほど傷つきやすくて。でもすごく愛おしくって・・・そんな何か。

 

 その、たましいとでも言えばいいのか、その何かは、ときに泣いていることがあるんです。人間見かけは元気にしているように見えても、その何かは悲しそうな顔をして、泣いている。

 

 私、それに気がつかなかったんだな〜って。ごめんね・・・って。そんなことが突然私のこころを満たしてきました。

 

 過ぎ去ったときのことを考えてもこころを汚すだけなのかもしれません。でも、もしそのとき、気づいていたとしたら、私はどうすればよかったんでしょう・・・

 おそらく私は抱きしめて、温めたいと思うでしょう。でも、こわれちゃうかもしれません。マザーテレサならそうするでしょうか・・・。

 

 う〜ん。もし、今その状況に出くわしても、私何したらいいかわからないです。わからない。

 

 もしかしたら、何かしないと・・・って思う必要はないのかもしれません。何か出来たら、そして、元気になってゆくのを見届けることができたら、それは一番だと思いますけどね。

 

 ブッダは言います。

Mātā yathā niyaṃ puttaṃ

āyusā ekaputtam anurakkhe,

evam pi sabbabhūtesu

mānasam bhāvaye aparimāṇaṃ. || Sn_I,8.7 ||

 

母が、自分の息子、独り子を生命を以って護るように

そのように、一切の生き物においても

無量の心を育むべきである。 (筆者訳)

 

 「こころする」「こころを向ける」「慈悲を送る」「慈悲を念ずる」・・・これだけでいいのかなって。

 

 あなたのこころの奥にある何か、それはあなたのこころそのものかもしれないし、よくわからないけど、私はあなたに慈しみをもってますよ。ただ、それだけで、いいかもしれないです。

 

 私の敬愛する方が、三ヶ月位前でしたかね、こんなことをおっしゃいました。

 「あー、なんとかしなきゃ」って思い込んでいたときのことです。

ご自分が善かれと思っても、このようなとき、何もしないのが賢いです。
言葉以上に大切なものがございます。
謙虚な心で、心を込めて慈悲を念じてください。
慈悲喜捨の心を育ててください。

 

 その選択肢は私のなかになかったです。ほんとに。ありがたかったです。

 

 いつも最後に、「健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!」と書いてます。これは、そういうわけなんです。

 

 言葉が届かなくても、この世にいてもいなくても。気持ちが伝わらなくても、相容れなくれも。私は慈悲喜捨をもってここに、ただ、いる。

 

 こんなことを言ってる私もいろんな人を傷つけているかもしれません。たぶん、気づかないところでたくさん傷つけているでしょう。そこに「ごめんなさい」といつも思っています。

 

 ニュースをみると悲しい出来事ばかりが入ってきます。そんな悲しみばかりの世間が私は嫌いです。でもそれは私自身を嫌いだということかもしれないなと思います。

 

 それでは今日も善い1日でありますように。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!