評定ではなく

2018/04/09

古山です。

学校のしていることで、「これは違うなあ」と思うことがあります。それは、子
どもの学びを成績にして評定することです。

ふだんの生活の中での学びを考えてください。

自転車に乗るのだったら、最終的な目的は、自転車を乗りこなせることです。だ
れかに褒められるためでもないし、いい点数を取るためでもありません。

料理を教わったなら、その成果は、自分でおいしいものを作れることでしょう。

算数の成果は、数量を使いこなせることでしょう。お兄ちゃんのお菓子と自分の
お菓子のどちらが多いかわかるとか、工作をして長さをそろえるとか、料理を4
人分作るのだったら材料をどれだけ必要かとか、そういうことです。誰かに点数
をつけられるためじゃない。

だから、私が算数を教えると、足し算や引き算より先に、長さや重さを導入して、
やれ長すぎるとか重すぎるとかいうストーリーで遊びます。その中から、足し算
や引き算が自然発生します。

計算練習は、サイコロを振ってモンスターとバトルするのを、よく使っています。
これは、足し算と引き算で成り立つようなゲームです。「2倍にする魔法」など
が現れれば、掛け算や割り算も簡単にゲームにできます。これだと、子どもが熱
くなってやります。

学校は、けっこう役に立つことを教えてくれています。ところが、成績をつける
というのが、大間違いだと思う。
苦手意識を持った子を、大量に生み出してしまう。

何かを習得させるのに、スモールステップを作って、一つ一つの出来具合を確か
めて次に進ませるというのも、優れた方法の一つではあります。
ところが、学校では、足し算と引き算を教えているうちに、なんのために何をし
ているのか、子どもたちがわからなくなってしまうのです。そして、評価される
ことに子どもたちが怯えてします。これでは本末転倒です。

足し算や引き算がわからない子はいないですよ。無味乾燥さに耐えられない子が
いるだけです。

いつのまにか、つまらないことを無理するのが学習だと思い込まれています。
プリントをやったとか、机に何時間向かったとか。
評定があるから無理しなければならない。

おもしろがっていれば、それですむことなのに。